民俗部会の活動をご紹介します。
線状降水帯をかいくぐり、穏やかな梅雨晴れの一日となった。南行徳駅からバスで5分程 行徳高校で降り徒歩10分「行徳野鳥観察舎」に着く。
初代 行徳野鳥観察舎の責任者 蓮尾純子(はすお すみこ)氏の講話は圧巻で、観察舎の歴史、当時の世情や状況、契機、仲間、その後の経過等、女子高生の蓮尾さんのみずみずしい戸惑いと素朴で純なお話を伺えた。
自然保護の市民運動を成し遂げた人ながら、私たち訪問者一堂に、石粘土でひとつずつ手作りしてくださった野鳥のストラップをくださった。
参加者のほとんどは、現「あいねすと」と保護区は初めて来た人々で、環境のことを再度考えるきっかけになったとアンケートに答えている。
満足度は81%満足。14%普通。不明5%
もう少し保護区散策の時間がほしかったとある。
午前9時市川真間駅に集合し、京成高砂駅の駅前広場で櫻庭会長の挨拶があり、A班、B班に分け7つのお寺を巡りました。
最初に観蔵寺へ行きました。観蔵寺から医王寺までは、当初の計画では「さくら道」を歩く予定でしたが、歩くと30分以上もかかるため、北総鉄道を使うこととし新柴又駅で下車。
医王寺、宝生院、万福寺、良観寺、真勝院、題経寺を巡りました。題経寺では混雑が予想されるため真勝院でアンケートを回収し、流れ解散となりました。
観蔵寺と真勝院に「北条氏と里見氏との国府台合戦で焼失した」旨の案内看板がありました。国府台合戦といえば市川地域や松戸地域を思い浮かべますが、
「へぇー、柴又でも合戦があったんだ」という感じの方がいたようです。アンケートでは「ほどよい距離だった」「近いけど来たことがなかった」という方が多かったように思えます。
今回の一般応募者は22名でしたが、桜庭会長の熱心な勧誘で6名の方が新たに会員になられました。喜ばしいことだと思います。
市川広小路から松戸角町へ至る市川松戸線(県道1号線)は江戸時代、佐倉街道の市川駅と水戸街道の松戸宿を結んでいた松戸街道とほぼ重なっています。
松戸街道沿いには今でも数多くの秀海講巡礼塔を見ることができます。
秀海講とは明治43年(1910)に横尾秀海という人物が中心となって設立した松戸と市川北部周辺の手軽な88か所巡りのことです。
勉強会では松戸街道沿いに点在する秀海講巡礼塔を中心に寺社や事物を紹介しました。
アンケートでは皆様から好評をいただき、特に市川市民にとってこのような身近なところにかつて88か所巡りがあったことへの驚きと興味をいただいた様子を伺うことができました。
これからも身近な事物をテーマに取り上げ有意義な勉強会を企画してまいりますのでご期待ください。
小雨降る中での出発となりましたが、参加者は39名でした。初めに瓦窯跡・北下遺跡の説明を受けた後、国分城跡の櫓台を訪れました。この櫓台は造園会社の私有地であり、普段は立ち入ることは出来ないのですが、社長さんのご厚意によりこの日は見学しやすいように通路も歩き易くなっていました。 国分寺の仁王門前で記念写真を撮った頃には雨も止み、国分僧寺跡、伝国分五郎の供養塔、馬頭観音の説明があり、七重の塔の礎石碑の前では拓本部会が実際に碑文を採拓した採拓紙を披露してくれました。 その後庚申塔、国分尼寺跡を訪れ、最後に外環道建設時に、7000年前の丸木舟が発掘された雷下遺跡を訪れて解散しました。なお、アンケートには多くの感想が寄せられましたが、資料も詳しく、初めてみる箇所が多かったので良かった等のご意見をいただきました。
2月11日、京成バス停「国分」に10時半集合、日枝神社へ向かいました。神官・総代の皆様が大杉社前にて、
祝詞奏上・礼拝の儀式に参加出来ました。その後、櫻庭会長より挨拶を頂き、以後は「こんこん様(腹切さま)」〜
「国分寺」〜国分五丁目と国分四丁目の「庚申祠」〜「国分尼寺跡公園」「馬頭観音」〜「北下遺跡瓦窯跡」と廻りました。
国分寺では、市内でも珍しい三面の馬頭観音と発掘調査で判明した下総国分僧寺の七重塔・金堂・講堂・
僧坊・大衆院跡等の位置関係を確認、国分尼寺跡公園にても、発掘調査で判明した資料を基に各建物の位置関係を確認した後、
馬頭観音(9基)を見学、その後バス停「国分」近くの北下遺跡瓦窯跡発掘調査概報を基に、登窯跡を確認しました。
朝方の気温は少し低めでしたが、風も弱く穏やかな晴天のもとでゆっくりと廻る事ができました。
アンケートの結果の回収率は88%で、76%の方から「満足」とのご意見を頂き、殊に市内でも、
知らなかった色々な行事・遺跡等を知る事が出来て良かったとの回答を多く頂きました。
1月3日、JR市川駅に9時集合。総武線快速で新日本橋駅下車。
宝田恵比寿神社「恵比寿」、次の椙森(すぎのもり)神社「恵比寿」にて参拝後 境内にて友の会会長より新年の挨拶を頂きました。
その後は史跡「玄冶店」を経て、笠間稲荷神社「寿老人」、 末廣神社「毘沙門天」、松島神社「大国主命(だいこくさま)」、水天宮境内「宝生弁財天」、 茶ノ木神社「布袋尊」と廻りました。
最後の小網神社「福禄寿」は凄く長い行列が出来ていて、2時間待ちとのことで参拝を諦めて神社の鳥居前を通過しました。 この小網神社にて一次解散し、一部の方は人形町駅方面へ、残りの方々は「行徳河岸」跡へご案内をして、二次解散しました。
朝方の気温は少し低めでしたが、風も弱く穏やかな晴天のもとでゆっくりと廻る事ができました。
アンケートの結果の回収率は93%で、80%の方から「満足」とのご意見を頂きました。殊に1人では中々廻る事が出来ないので、
友の会で七福神巡りが出来て良かったとの回答を多く頂きました。
1月3日、京成八幡駅に8時半集合、京浜急行新馬場駅で下車し、駅前にて会長より新年の挨拶を頂きました。
穏やかな晴天のもと品川神社「大黒天」を皮切りに養願寺「布袋尊」、一心寺「寿老人」、荏原神社「恵比寿」、
品川寺「毘沙門天」、浜川砲台跡にて小休止、天祖・諏訪神社「福禄寿」、鈴ヶ森刑場跡を通り磐井神社にて 「弁財天」を参拝後、市川市・曽谷に所縁の有る「烏石」を見て解散しました。
東海七福神巡りは一心寺から天祖・諏訪神社間は、昔の東海道を下るのですが風も無く暖かい散策日和なので、 途中から勝島運河を見ながら3寺4神社を巡りました。人も車の通りも少なくてゆっくりと歩く事が出来ました。
アンケートの結果の回収率は76%でしたが、77%の方から「満足」とのご意見を頂きました。 殊に「烏石(からすいし)」(市川市曽谷城址に有ったという)を見る事が出来て良かったとの回答を多く頂きました。
岩槻慈恩寺は、坂東三十三箇所観音霊場・第十二番札所として江戸川沿いの人々の信仰を集め、 その参詣道のことを岩槻慈恩寺道と呼びました。
この道は、戦国時代以来、行徳の塩を岩槻へ運ぶ 「塩の道」として発展し、江戸時代に入ると、
岩槻慈恩寺への参詣道として多くの江戸川沿いの人々が行き交う 「旅の道」として賑わいました。
見学会は、葛西神社から閘門橋までの間、岩槻慈恩寺道沿いに 点在する寺社や道標などの石造物を訪ねました。
絶好の晴天に恵まれ、参加者の皆様から大好評をいただき、 特にアンケートでは水(み)塚(づか)と閘(こう)門(もん)橋(ばし)に多くの方が興味を示されました。
市川市石造文化財調査報告書『市川市の石造物』(平成20年10月発行)には、庚申塔
110基の記載が有り、その中でも江戸時代のものは101基有ります。その内27基の写真を展示しています。
庚申塔の像容も青面金剛(しょうめんこうごう)・三猿が多いですが、釈迦如来、聖徳太子や延命地蔵等々多様な像形が見られます。
また、石造の形状も縄で縛られた(?)もの、塔の側面に行く先を記した道標を兼ねたもの、江戸時代の一時期だけに造られた東葛型(二手面合掌金剛)
、そして市指定重要有形文化財となっている「五層塔」の庚申塔等が有ります。
これらの庚申塔は市内の旧街道沿いや寺社に置かれていますので皆様の
近くにも在ると思います。これを機会に庚申塔を探しに散策してみてはいかがでしょうか。
会場:市川市立歴史博物館1階ロビー
費用:無料
市川市立歴史博物館 1階ロビーで展示中 2020年9月2日
資料はここをクリック 市川市の庚申塔『市川市の石造物』
京成立石駅から立石道や帝釈道を通り、これらの路傍にある石造物を見学し、
立石熊野神社では宮司の説明を聞くなど貴重な体験をし、柴又帝釈天で解散となりました。
平成30年(2018)にオープンした中台神輿ミュージアムでは詳細な説明と製作中の職人の技を見学した後、
旧浅子神輿店へ(行徳ふれあい伝承館)寄り、行徳の神輿と塩づくりの話を聞きました。
最後に常夜灯から江戸川の水門と閘門や行徳可動堰などを見学しました。
北総線沿線の城跡は35ヶ所を数えます。今回は矢切駅から千葉ニュータウンまでの20城跡の紹介でした。
アンケートの中には城跡の見学会を開催してほしいとの意見も寄せられました。