市川博物館友の会 イベント情報

イベント情報

友の会の直近のイベント情報をお知らせします。ご関心のある方は、友の会へ
お問い合わせください。
また、直近の終了したイベントの様子をページの下部に記載してあります。
ご関心のある方はご覧ください。


友の会
第50回  総会・講演会

( 日 時 ) 4月14日(日) 総会13:30〜14:30 講演会14:30〜16:00
( 場 所 )  市立市川博物館2階講堂

◆ 総 会 ◆  令和5年度行事報告及び収支決算報告ならびに令和6年度行事計画及び予算案等、 友の会活動の総括と新年度の取組について審議いたします。役員ならびに会員の出席をお願いいたします。

◆ 講演会 ◆
( 講 師 )  山路直充学芸員
( 演 題 )  「海上交通をめぐる陸奥と関東ー『続日本紀』養老六年閏四月乙丑条を中心にー」
        『続日本紀』養老六年閏四月乙丑条には陸奥国への米の運搬を命じる記事が残る。 今回はこの記事を手掛かりに、古代の太平洋沿岸の海上交通を考えてみたい。
        いかめしいタイトルですが、一度こういうタイトルの話がしたかっただけで、難しい 話ではありません。 お気軽にご参加ください。 
( 参加費 )  会員200円 一般300円(資料代)
(申し込み)  募集は終了しています。
( 連絡先 )  市川博物館友の会 090−9231−4383

友の会 勉強会
「古文書読解講座」

全8回

(内 容)
     江戸時代の市川市内の村に残された古文書を解読しながら、崩し字の読み方を声に出して読む「音読」を主として、学習を進めていく古文書解読講座です。
    講座では、令和5年度に使用した「旅行用心集」を引きつづき読みます。
もう一つは松沢家文書「五人組御仕置帳」を学習します。
今年度は、6月2回・7月2回を前期とし、9月2回・10月2回を後期とする計8回の講座になります。ぜひチャレンジしてみませんか。博物館に展示してある古文書が読めるようになったら、とても素晴らしいのではないでしょうか。

(日 時) 前期:6月1日(土)・6月15日(土)・7月6日(土)・7月20日(土)
後期:9月7日(土)・9月21日(土)・10月5日(土)・10月19日(土)
13:30〜16:00(時間は各回共通)

(場 所)  市川歴史博物館2階講堂
(講 師)  大津早苗先生
            NHK学園通信講座の添削講師・ 読売文化センター錦糸町で古文書講座講師・市川市史編纂事業で近世文書の解読を担当。
(参加費)  会員300円 一般500円(各回 資料代)
(持ち物)  ノート筆記用具、飲み物、  (お持ちの方は「くずし字辞典」の持参)
(申し込み) 往復葉書(1人1枚)に「古文書講座」、住所、氏名(ふりがな)、会員番号、年齢、 電話番号、返信宛先を書き、 〒272-0837 市川市堀之内2-27-1 市川歴史博物館宛、5月14日(金)までに(当日必着)。

(連絡先)  市川博物館友の会 090−9231−4383
    ※急な都合などにより、出席できない場合、テキストや資料を送付します。後日、テキスト郵送代として、出席できなかった日の参加費をいただきます。

拓本部会
講習会

(内 容) 拓本は、木や石に刻した文字、または石碑や器物に刻された文字、模様を紙に写し採ることです。これを体験してみませんか。さらに、それを表装して、掛け軸に仕上げています。
(日 時) 4月28日(日)9:30〜12:30
(場 所)  市川歴史博物館2階講堂
(参加費)  会員100円  一般200円
(室内採拓代) 会員300円 一般400円
(持 ち 物) 採拓道具(初心者の方は友の会で用意します)、筆記用具、定規、カッター、雑巾
(申込方法)往復葉書(1人1枚)に「拓本を採ろう」、住所、氏名(ふりがな)、会員番号、年齢、電話番号、返信宛先を書き、
〒272-0837 市川市堀之内2-27-1 市川歴史博物館宛、
4月16日(火)までに(当日必着)
(連絡先)  市川博物館友の会 090−9231−4383

拓本部会
講習会A

(内 容)   拓本に必要な「墨・タンポ」を各自、作成していただきます。
墨は油煙墨・もぐさ・オリーブオイルを原料にしてつくります。
タンポは絹布・綿・タコ糸等を利用して一人3個位を予定しております。
上記 必要なものは友の会で全て用意しております。
(日 時) 5月6日(月・祝日)9:30〜12:30
(場 所)  市川歴史博物館2階講堂
(参加費) 会員100円  一般200円
(材料費) 会員1,000円 一般1,300円
(持 ち 物) 採拓した墨を入れるタッパー(直径12cmぐらいのもの)
(人 数)  15名
(申込方法) 往復葉書(1人1枚)に「拓本部会講習会A」、住所、氏名(ふりがな)、 会員番号、年齢、電話番号、返信宛先を書き、
〒272-0837 市川市堀之内2-27-1 市川歴史博物館宛、
4月24日(水)までに(当日必着)
(連絡先)  市川博物館友の会 090−9231−4383

拓本部会 野外採拓

「白髭神社」

(内 容)  白鬚神社(墨田区東向島3−5−2)には、明治・大正期の書家・西川春洞、文化勲章受賞・西川寧父子の碑、江戸の文人墨客三人合作の「墨多三絶」碑、同時代の俳人・加舎白雄(門弟四千人と云われた)句碑、永井荷風の祖父・鷲津毅堂碑等があります。
(日  時) 5月19日(日)8:30〜15:30頃
(集合場所) JR市川駅改札口 8:30
(参加費)  会員700円  一般1,000円 (採拓紙、神社謝礼含む)
(持 ち 物) 採拓道具(初心者は拓本部会で用意します)、弁当、敷物
(その他)  雨天の場合中止
(申込方法) 往復葉書(1人1枚)に「野外採拓・白鬚神社」、住所、氏名(ふりがな)、会員番号、年齢、電話番号、返信宛先を書き、
〒272-0837 市川市堀之内2-27-1 市川歴史博物館宛に  
     5月9日(木)までに(当日必着)。
(連絡先)  市川博物館友の会 090−9231−4383

民俗部会 勉強会
「古代の東海道を訪ねて
ー墨田から小岩へー」

(内 容)
     大化の改新以降、律令制による行政機構が整備され、都と地方との連絡は、7つの官道によって支えられていました。
このうち古代の東海道は、はじめ都から相模国へ向かい、海路で上総国富津(千葉県富津市)に渡って、上総国府(千葉県市原市)を経て下総国府(千葉県市川市)に至る経路でした。
その後、役所間の往来が頻繁になり、それまでの海路を使う経路だけでなく、武蔵国−下総国間に広がる現・東京低地を通る陸路も重要視されるようになりました。
昭和22年(1947)に米軍が撮影した航空写真にはその道筋がくっきりと写し出されています。その道筋は、隅田川東岸の隅田川神社付近から鐘ヶ淵・四つ木・立石を経て、江戸川西岸の小岩の真光院までつづいています。
勉強会では、墨田から小岩へ、古代の東海道を訪ね往時の痕跡を探してみたいと思います。

(日 時) 6月2日(日)14:00〜15:30(予定)
(場 所)  市川歴史博物館2階講堂
(定 員)  40名(応募者多数の時は抽選)
(参加費)  会員200円 一般300円 (資料代)
(持ち物)  筆記用具、飲み物、
(申し込み) 往復葉書(1人1枚)に「古代の東海道」、住所、氏名(ふりがな)、会員番号、年齢、 電話番号、返信宛先を書き、〒272-0837 市川市堀之内2-27-1市川歴史博物館宛5月16日(木)までに(当日必着)。

(連絡先)  市川博物館友の会 090−9231−4383

縄文体験フェスティバル
令和6年3月24日(日)実施

    昨年は雨に降られましたが、今年は快晴とまではいかないが穏やかな日和に恵まれた縄文フェス テバルになりました。この時期、歴史博物館に隣接する駐車場の桜が見ごろを迎えるはずですが、今 年はまだ蕾のままでした。
    縄文フェステバルは、国史跡の堀之内貝塚や考古・歴史博物館がある国分 地区の市民が集い、気軽に参加できる「地域のまつり」として、また史跡の啓蒙と新たな地域づくり を目指して開催される春まつりです。
    フェステバルの内容は、堀之内貝塚ガイドツアー、火おこし体験、 弓矢で遊ぼう、縄文服試着、拓本をとろう、竹細工コーナー、クテ打組紐体験、ワラ細工コーナー、 紋切りあそび、現代アート、キッチンカーによる食事提供が会場内で繰り広げられました。
    博物館友の会は、「歴史博物館1階玄関前・博物館友の会コーナー」で、友の会の紹介およびPR活動を歴史部会・民俗部会が行いました。これまで開催した見学会や勉強会の資料を頒布したところ、 42冊買い求められました。たった100円で購入できる超一級の内容の資料ですから、手にされた方はとても満足されたようです。2階講堂では、縄文土器片の採拓及び色紙への表装実技教室を拓本部会が行いました。 表装用の色紙が65枚捌けるほど大盛況でした。考古博物館の友の会コーナーで は、これまで作成した土器や土偶の展示および友の会PR活動を考古部会が行いました。その成果と して、当日1名の方が友の会に新規入会されました。当日、大活躍していただいた役員の方々、本当にご苦労さまでした。

歴史部会 見学会
「赤塚城跡を訪ねる」
令和6年3月20日(水・祝)実施

参加者43名(内会員34名)
    桜の花の開花宣言が近い春分の日。午前8:00にJR市川駅を出発して、9:15に地下鉄赤塚駅に到着した。都内の地下鉄の駅から、中世の山城を訪ねる。地上に出ると鎌倉街道、道なりに辿れば、 江戸名所図会にある大堂と八幡社。南北朝時代以降に七堂伽藍を誇っていたが、永禄四年の上杉謙信の小田原侵攻の途中に焼き払われたと言う。古刹・松月院に立ち寄り、武蔵千葉氏の墓を見る。
    説明板に、歴々と「市川城を逃れた」千葉氏宗家が、武蔵に拠点を構え、この寺を中興・開基したとある。境内で併せて高島秋帆顕彰碑を見る。幕末の偉人であり、長崎の町人が西洋砲術を極め、 幕府の要請を受け徳丸原で実演した、その志の高さに感服しつつ説明板を見る。乗蓮寺で、東京大仏を見る。休憩と観光目的で立ち寄ったが、大仏の大きさに感動する人も多かった。 江戸時代、富士・大山などへの霊山登拝者が水垢離場として利用していた不動の滝を見る。
    いよいよ、目指す赤塚城跡である。小山の中にあり、周囲は堀を兼ねた深い谷に囲まれ、戦国の雰囲気をひしひしと感じる。説明板には、市川城を逃れた武蔵千葉氏の拠点であることを記している。
    麓の板橋区立郷土資料館で、赤塚の歴史、武蔵千葉氏の歴史、高島秋帆に関する説明をつぶさに見る。12:30、一旦解散し昼食をとる。
13:00に再集合、帰路につく。赤塚城の物見台跡、伝・鎌倉街道、諏訪神社、民俗行事・田遊びの説明板、赤塚城の防塁(沖山の塁)などを巡る。天気予報通り、晴天から、にわかに曇り小雨も降る。 13:45に都営地下鉄・新高島平駅に着き、ここで最終解散。市川に帰ると、空には虹が出ていた。
    アンケートによると、9割の参加者が〈満足〉と回答され、 「赤塚と市川の関連に気付いた」「武蔵千葉氏のことを新たに知った」「普段行けない所に行けて良かった」「説明が分かりやすかった」などの回答があった。ご批判の回答も有り、今後の見学会や勉強会の企画の参考にしたい。

考古部会 見学会
「特別史跡 加曽利貝塚」
令和6年3月17日実施

   参加者42名(内会員32名)
    コロナ感染前の2019年に加曽利貝塚見学会を実施したときには、前日に大雪が降り開催が危ぶ まれましたが、雪化粧した竪穴住居がとても綺麗だったのを思いだしました。今回は当初の2月開催 をボランティアガイドの人数がそろわないとの都合で3月開催に変更になりましたが、穏やかな日和 で寒くもなくよかったのではと思います。国の特別史跡に指定されている加曽利貝塚公園入口にボラ ンティアガイド5名の方が出迎えてくれました。参加者は、8人から9人の5グループに分かれ、コ ース別にボランティアガイドが懇切丁寧に案内および説明をしてくださいました。
    縄文時代中期に形成された北貝塚の竪穴住居跡が、発掘調査した当時のままドームに保存されていました。 南貝塚では縄文人が食べた貝の貝層断面が保存されていました。復元された竪穴住居内では火が炊かれれていて、 住居の腐食防止や土器で煮炊きをしていた様子が語られました。外は風がビュウービュウ吹いていたが、 隙間がありそうな茅の壁は風を通さず意外と暖かったことに驚きました。 博物館では出土した土器や人骨、加曽利貝塚の発掘の歴史や保存活動の経緯についての説明がありました。
    アンケート結果は、圧倒的にボランティアガイドがよかったとの声が寄せられていました。 加曽利貝塚に関する内容豊かな説明および案内にとても満足したと記載されていました。

友の会
初級古文書読解講座
令和5年7月8日〜令和6年3月9日 5回実施

   @令和5.7.8参加者29名(内会員23名) A令和5.9.9.参加者28名 (内会員21名) B令和5.11.11.参加者29名(内会員21名) C令和6.1.13. 参加者24名(内会員18名) D令和6.3.9.参加者13名(内会員10名)
    NHK学園通信講座の添削講師及び読売文化センター錦糸町で古文書講座講師や市川市史編纂事業 で近世文書の解読を担当された大津早苗先生により、5回に亘る「初級者古文書解読講座」を開催し ました。博物館主催の古文書解読講座はありましたが、友の会主催の古文書解読講座は初めての勉強 会です。江戸時代の市川市内村々の様子や村人たちの暮らしぶりについて、村に残された古文書を解 読しながら学ぶ、初心者向けの古文書解読講座で、「崩し字の読みやすさ」「内容」などを考慮して、 1回に1〜2点ほど取り上げて、どのように文字がくずされているかを学びながら、書かれている内 容を読み取り、後半は受講者が古文書を音読するまでになりました。アンケート結果では、難しかっ た方と比較的易しかった方が半々でした。古文書のレベルアップを図るために参加された方と初めて 参加された方とのレベルの違いかと思います。
    令和6年度は前半に4回、後半に4回の計8回の古文書講座を予定しています。初心者の方は懲り ずに参加していただき、博物館に展示されている古文書を読み下すようになってください。

拓本部会     「表装」
令和5年11/26、12/24 
令和6年1/28、2/18、3/3(各日曜)実施

   参加者7〜11名(内・初心者1名 見学者1名)
    表装の工程である、整形・裏打ちから軸装まで5回にわたり学び、採拓作品などを掛け軸にして鑑賞できる作業を行いました。 初心者の方も1名おられましたがベテランの方のアドバイスで順調に作業を行っておりました。 また、入会希望の方が1名、見学され、熱心に作業をご覧になられて、大変に興味を持たれたようでした。
    大変に残念なことですが、長らくご指導をいただいておりました名誉会長の村松勝美様が年末に急逝され、 部会員一同、悲しみつつも、ベテランの加倉井様・塩入様を中心に、ご指導のもと頑張っております。
 村松勝美様のご冥福をお祈りいたします。

歴史部会 見学会
「江戸城外堀を巡るA
〜市ヶ谷から飯田橋〜」
令和6年2月12日実施

   参加者52名(内一般19名)
   応募者が92名になったため急遽同じ内容で2回実施することにしました。
1回目、1月21日(日)の見学会は雨天のため中止となりましたが、2回目の今回は天候に恵まれ実施することが出来ました。
   歴史部会の江戸城の史跡巡りは、内堀2回、外堀1回と実施してきました。今回は4回目になります。
   都営新宿線本八幡駅から市ヶ谷駅へ。市ヶ谷見附交番裏の広場で会長の開会挨拶があり、「市谷門跡」を出発、 市ヶ谷橋下の石垣の刻印、南北線市ヶ谷駅構内の「江戸歴史散歩コーナー」で古地図と遺構を見学後、2班に分かれました。
   「茶ノ木稲荷神社」と太田道灌が西の守護神として祀った「市谷亀岡八幡宮」を見学して、紅白の梅の花を背に集合写真を撮りました。
「左内坂」を下り「定火消発祥の地」から「浄瑠璃坂」を上り、赤穂浪士が手本としたと言われる「浄瑠璃坂の仇討跡」から「愛敬稲荷神社」、 外堀通りに出て「新見附橋」を渡りました。 「国指定史跡・江戸城外堀跡」の土塁に植えられた松林の中を歩いて休憩後、 「牛込門跡」、「阿波守内の石」を見学し、 江戸時代から現代までの出来事が刻んである同心円状の石板を見学しました。 飯田橋駅の変わり様に驚いた参加者もいて、「飯田橋駅西口広場」の展望デッキから素晴らしい景色を見て感嘆の声を上げていました。 最後は、飯田濠の一部を復元した「飯田濠跡親水公園」で現地解散となりました。
   アンケートの結果でも、外堀のことがわかってよかった、資料が良く、説明もわかりやすかったとの声が多く寄せられ、 参加者の9割から「満足」との回答を得て、今回の見学会は好評のうちに終了することが出来ました。

友の会
新春講演会「中学入試の考古学」
令和6年1月7日実施

   参加者22名
   講師:市川考古博物館 松本太郎学芸員
   公立の小学校で習った歴史は、各年代の特徴や出来事、さらにその年代を代表する人物を紹介する 程度の記憶しかなかったことから、今回の新春講演会「中学入試の考古学」は、想像を上回る難解な入試問題だったことに驚くしかありませんでした。 小学生が難関校の中学受験をするには、年号や人物名を丸暗記するだけでは到底、受験資格すらないのを知りました。
   入試問題では、単に○×で答えるだけではなく、ショートアンサー形式の記述で答えなくてはならない設問もあり、 詰め込み教育だけでは済まないのを実感しました。よほど歴史に関する本がたくさんある家庭でないと図書館通いするしかないので、 大変な努力が必要です。ただ受験とは関係なく、歴史がどうしようもなく好きな「博士ちゃん」が存在するのをテレビ番組で見知っていますので、 彼ら彼女らからするとそれほど難解ではないのかもしれません。

民俗部会 見学会
新春恒例「柴又七福神巡り」
令和6年1月3日実施

   参加者50名(内会員34名)
   午前9時市川真間駅に集合し、京成高砂駅の駅前広場で櫻庭会長の挨拶があり、A班、B班に分け7つのお寺を巡りました。
   最初に観蔵寺へ行きました。観蔵寺から医王寺までは、当初の計画では「さくら道」を歩く予定でしたが、歩くと30分以上もかかるため、 北総鉄道を使うこととし新柴又駅で下車。 医王寺、宝生院、万福寺、良観寺、真勝院、題経寺を巡りました。題経寺では混雑が予想されるため真勝院でアンケートを回収し、流れ解散となりました。
   観蔵寺と真勝院に「北条氏と里見氏との国府台合戦で焼失した」旨の案内看板がありました。国府台合戦といえば市川地域や松戸地域を思い浮かべますが、 「へぇー、柴又でも合戦があったんだ」という感じの方がいたようです。アンケートでは「ほどよい距離だった」「近いけど来たことがなかった」という方が多かったように思えます。 今回の一般応募者は22名でしたが、桜庭会長の熱心な勧誘で6名の方が新たに会員になられました。喜ばしいことだと思います。

民俗部会 勉強会
「松戸街道に秀(しゅう)海(かい)講(こう)巡礼塔を訪ねて」
令和5年12月3日実施

   参加者24名(内会員20名)
   市川広小路から松戸角町へ至る市川松戸線(県道1号線)は江戸時代、佐倉街道の市川駅と水戸街道の松戸宿を結んでいた松戸街道とほぼ重なっています。
松戸街道沿いには今でも数多くの秀海講巡礼塔を見ることができます。
   秀海講とは明治43年(1910)に横尾秀海という人物が中心となって設立した松戸と市川北部周辺の手軽な88か所巡りのことです。
   勉強会では松戸街道沿いに点在する秀海講巡礼塔を中心に寺社や事物を紹介しました。アンケートでは皆様から好評をいただき、 特に市川市民にとってこのような身近なところにかつて88か所巡りがあったことへの驚きと興味をいただいた様子を伺うことができました。 これからも身近な事物をテーマに取り上げ有意義な勉強会を企画してまいりますのでご期待ください。

考古部会
「土偶をつくろう」
令和5年11/5・12・19、12/10日実施

   参加者24名(内一般14名中、小学生4名)
    縄文時代の土偶は、国宝に5点も指定されていますが、漫画的なキャラクターの特異性から若者世代から子供たちにも人気の「土偶ブーム」になっています。 今回も一般の参加者が多く小学生は4名参加しま した。1週目は市川考古博物館の領塚学芸員による基礎知識を学んだ後、用土づくりを行いました。粘土は古い用土と市販の粘土を5対5の割合で混ぜ合せました。 2週目は会員作成の土偶を参考に形づくりを 行いました。3週目は磨きをかけ、充分乾燥を経た12月10日に焼きあげを行いました。昨年は破裂する土偶が何点かありましたが、 今回は1点も破裂することがなく無事に終えることができました。

歴史部会 見学会
「横浜の史跡巡り(野毛山編)」
令和5年11月23日(木・祝)実施

   参加者39名(会員33名、一般6名)
    これまで、歴史部会では @「横浜港と馬車道・本町通りの博物館巡り」、A「旧山下外国人居留地巡り」、 B「旧山手外国人居留地巡り」の見学会を実施してきました。 今回は横浜史跡巡りシリーズ第4回目、「野毛山周辺巡り」です。 
   勤労感謝の日。 晴れ。 事前のキャンセル者はひとりもなく、応募者全員が定刻までに集合して、鉄道開通時の「初代横浜駅」である桜木町駅へ。  駅前広場で会長の開会挨拶があり、2班に分かれて出発。 「横浜の父」と言われる高島嘉右衛門のガス会社があった「日本ガス事業発祥の地記念碑」を見学、  「紅葉坂」を上り、丘の上の「神奈川奉行所跡」、 「金星太陽面通過観測記念碑」を巡り、「掃部山公園」では 「井伊直弼銅像」と 「横浜ランドマークタワー」を背景に記念の集合写真を撮りました。  その後、「横浜能楽堂」から「横浜道」に出て 「野毛の切通し」を通り、 「伊勢山皇大神宮」へ。 ここでは丁度新嘗祭の儀式が行われていました。 その後「成田山横浜別院延命院」に立ち寄り、 野毛坂の「亀甲積擁壁」を眺めて 「野毛山公園」に入りました。  公園の樹林区域では 「ラジオ塔」、「中村汀女句碑」、 「佐久間象山顕彰碑」を見学し、 入園料無料の「野毛山動物園」に到着。 引き続き「野毛のつり橋」を渡り、「旧野毛山配水池」と「ヘンリー・スペンサー・パーマー像 (近代水道発祥の地)」を見学して  公園の「展望台」に上りました。  眼下に広がる横浜港周辺の景色や 「横浜みなとみらい21」の景観は最高でした。 最後は野毛坂を下り、野毛の繁華街で 「美空ひばり像」を見学、 「日本近代水道最古の水道管」のある「野毛三丁目公園」で現地解散となりました。 
   アンケートの結果の回収率は95%で、天候に恵まれて野毛山を堪能した、詳細な資料で説明も良かったとの感想が多く寄せられ、95%の方から「満足」との回答を得て、 今回の見学会は好評のうちに終了することが出来ました。
  
 ☆ 歴史部会のページに 写真入りで紹介してあります。

曽谷縄文まつり
令和5年10月8日(日)開催

 4年ぶりに行われた曽谷縄文まつりは、天候にも恵まれ5千人余りの来場者があった模様だと実行委員会から報告されました。
成功の要因はフリーマーケットを廃し、国史跡の曽谷貝塚で行う祭りの原点に立ち返ったからではとの総括がされました。 友の会は、拓本部会が曽谷貝塚から出土した土器片の採拓を来場者が行うのをサポートし、 考古部会は縄文食(アサリ、ジャガイモ)を土器で煮炊きし、300食以上が試食されました。 また、市長も視察に来られ、縄文食を試食されました。写真は、考古博物館の領塚学芸員より送られたものです。

拓本部会 野外採拓
「流山:赤城神社・光明院」
令和5年10月22日(日)実施

   参加者7名
    今年度の行事予定では10月15日(日)に予定しておりましたが、当日は赤城神社・「大しめ縄行事」祭礼との事で、10月22日に変更しました。 6月に流山諏訪神社で採拓を行いましたが、今回も同じ流山の赤城神社・光明院等で小林一茶の句碑等を中心に採拓しました。
流山寺には斗??(とゆう)の句碑がありますが、太平洋戦争中の空襲で被弾し、採拓には適せず、観察のみに致しました。 光明院・流山寺は法事が行われていたにもかかわらず、心よく採拓の許可をいただきました。
    また、当日は秋晴れに恵まれ、午前・午後ともに、各自で気に入った大小の作品を数枚採拓することができ、有意義な一日となりました。

四部会合同見学会
「国分地区を巡る」
令和5年10月29日(日)実施

   参加者39名(一般8名)
    小雨降る中での出発となりましたが、参加者は39名でした。初めに瓦窯跡・北下遺跡の説明を受けた後、国分城跡の櫓台を訪れました。 この櫓台は造園会社の私有地であり、普段は立ち入ることは出来ないのですが、社長さんのご厚意によりこの日は見学しやすいように通路も歩き易くなっていました。
   国分寺の仁王門前で記念写真を撮った頃には雨も止み、国分僧寺跡、伝国分五郎の供養塔、馬頭観音の説明があり、 七重の塔の礎石碑の前では拓本部会が実際に碑文を採拓した採拓紙を披露してくれました。 その後庚申塔、国分尼寺跡を訪れ、 最後に外環道建設時に、7000年前の丸木舟が発掘された雷下遺跡を訪れて解散しました。
   なお、アンケートには多くの感想が寄せられましたが、資料も詳しく、初めてみる箇所が多かったので良かった等のご意見をいただきました。   

拓本部会勉強会  
「石造物から見る市川の関所・渡し場」
令和5年9月24日(日)実施

    参加者29名(一般6名)
    小岩市川関所は、武蔵・下総両国を往来する重要な関所で、番所では厳重なチェックがなされていた一方で、百姓たちが耕作のために対岸に渡る渡し場も存在していました。     歴史博物館の山岸未來先生は、詳細な現地調査を行い、また講演では、当時の石造物や古地図等をプリントして、さらに鮮明な映像も使って話されました。地元市川の歴史、 特に旧街道と現国道、一般道との関連も理解でき、有意義な勉強会であったと皆さんから好評を頂き、感謝しております。        

民俗部会 見学会
「木下川薬師道と逆井道を歩く」
令和5年6月11日(日)
荒天の為中止

今後の実施については、来年度の行事として検討いたします。

拓本部会 野外採択 
「駒木諏訪神社」
令和5年6月4日(日)実施

    参加者8名
    5月14日(日)に予定していた野外採拓は天気が安定せず、延期しました。
    今回も台風2号の接近で実施が危ぶまれましたが、幸いにして前日から雨があがり、当日は天気の回復が予報され、実施できました。
    境内には文化勲章受賞者「北村西望」氏の雄渾な彫刻・自由闊達な筆跡の作品を中心に著名人による大小30余りの石碑が大事に保存されており、 参加者は採拓に適したものを選ぶのに迷うほどでした。
    当日は、お宮参りに来られたご家族が数組あり、大変に良い雰囲気でした。なかには我々の採拓作業を熱心に見学される方もおられ、拓本について説明をすると、 熱心に聞いてくださり、感謝の言葉までいただきました。私たちも気持ち良く作業を行い、大変に有意義な活動となりました。        

拓本部会  
拓本講習会
令和5年4月29日(日)実施

    参加者9名
    昨年同様に「初心者講習会」とせず、単に「拓本講習会」として案内しました。市川市の広報にも掲載しませんでしたので、参加者は多くありませんでした。
    採拓は、模刻板や古鏡裏面の採拓を室内で行いました。また、博物館の庭に設置されている石造物の採拓も行いました。
    模刻板や特に古鏡(銅鏡)裏面の採拓は錆により、模様が不鮮明な部分も墨やタンポを打つと鮮明になり、一種の感動を覚えました。 また、野外の石造物は、彫り込みの深い部分もあり、和紙が破れてしまい、改めて採拓の難しさを実感しました。
    採拓は、年に数回しか行えませんので、作業手順を忘れがちになるのですが、今回の講習会により、採拓作業の一つ一つを確認することができ、大変に有意義な活動になりました。        

友の会 第49回総会・講演会
令和5年4月16日(日)実施

   出席者33名
   4月16日の日曜日、歴史博物館二階講堂にて「第49回市川博物館友の会総会」が開催されました。 定刻の午後1時半より開始され、会長の挨拶の中で昨年度役員を担っていただいた2名と会員1名の御三方が 亡くなられことに対して哀悼の意が表明されました。
   総会議長には、会長が選出され総会は成立しました。Y副会長が体調不良のため出席を見合わせた ことから、K副会長が代わりに令和4年度行事報告を行い、つづいて会計より会計決算報告、会計監査による会計監査報告が行われ、 承認されました。つづいて令和5年度行事計画案、会計予算案が提案されて承認されたのにつづき、令和5年度役員が選出発表されました。 K副会長よりY副会長の退任挨拶が代読され、長年の功績に対して出席された会員より拍手が寄せられました。 なおYさんは今後も相談役として引き続き活躍していただくことになっています。
    休憩をはさみ、市川考古博物館学芸員の領塚正浩先生による『市川市にある国指定史跡とその活用状況』について、 講演していただきました。市川市には縄文時代の堀之内貝塚、曽谷貝塚、姥山貝塚と下総国分尼寺跡、 下総国分寺跡附北下瓦窯跡の5箇所が国指定の史跡になっていることから、千葉県内でも特筆すべき歴史ある地であることが述べられました。 とくに縄文時代の貝塚の分布密度が高いことと、利根川の下流であった江戸川と東京湾を望む国府台に国庁が置かれ、 国分寺と尼寺が建立されたことから極めて重要な要所だったことを示しているそうです。ただ残念なのは、 この重要な5史跡がまだ一般市民に広く認識されていないことから、その活用方法が今後の課題であるそうです。 講演会は16時直前まで熱心に行われ参加者一同の拍手で締めくくりました。

歴史部会 見学会
「小机城址を訪ねる」
令和5年3月21日(火・祝日)実施

    参加者42名(内、会員36名)
    桜の花が満開に近い暖かい日、午前8時に市川駅を出発して、9時40分にJR横浜線小机駅に到着した。 小机駅のホームから西を望めば、こんもり茂る森の丘が目指す小机城である。友の会会長の開会挨拶に続き、 歴史部会の担当者が、小机城址見学のポイントを解説した。
    歩くこと約15分、城への登城口に入る。登城の坂道を登りきれば土塁の上、下を見れば深い堀。 戦国時代の荒々しい城址に来た実感がひしひしと迫る。山城の縄張りのパーツである、虎口(こぐち:城の入り口)、 角馬出し(入口防御の仕組み)、食い違いの土橋(クランク状の道)、空堀(からぼり)などを見る。 本丸と言われている西の廓(くるわ)に入れば、そこには広々とした少年野球場。この城址は横浜市の公園でもある。 郭の端の方に近づけば、その先は深い堀が口をあけ、目もくらむ深さ。続いて、つなぎ郭、東の郭と廻る。 つなぎ郭は、電話の受話器の形をしている。なぜか? もともとは広い台地の削平地だったが、戦いが激しくなるに従い、 これを三分割しそれぞれの郭の間に深い堀を作ったものと言う。
    これらの郭群を全体的にぐるりと囲む長大な空堀があり、急坂を恐る恐る降りて堀底に立つ。昼なお暗い溝の中、 見上げれば矢玉の嵐が上から降ってくるような背筋が寒くなる気分である。かくて、中世の古城址の構造をつぶさに見学した。 東の郭のベンチとテーブルで小休止をとり、見学の皆様のご意見・ご質問を受け、なお小机城の歴史について資料を元に解説があった。 次いで、地区センターで小机城址の関連の展示資料を見学。小机城主・笠原氏が創建した寺・雲松院を訪ね、 笠原氏代々の墓石を見学した。12時40分ごろ、いっぱいの歴史興味を満喫し、快い疲労とともに解散した。
    アンケートによると、9割以上の参加者が<満足>と回答され、「山城の見学は楽しい」「堀の深さに驚いた」 「普段行けない所に行けて良かった」などの回答があった。ご批判の回答も含め、今後の城跡見学の企画の参考にしたいと思います。

考古部会
「岩宿博物館にて石器づくり体験学習」
令和5年3月19日(日)実施

   参加者10名
    当日は穏やかな日和で東武浅草駅から特急に乗りましたが、車窓には富士山と見間違う浅間山がまだ白く聳えていました。 参加者は特急列車内でそれぞれくつろぎ、赤城駅で予約した大型タクシーで岩宿博物館に到着しました。 相沢忠洋氏が1949年に関東ローム層の切通しから槍先形石器(黒曜石製の尖頭器)を発見したB地点にて、 博物館の学芸員が日本列島に旧石器時代が存在した事実について、見学者用ドーム内で詳しく解説してくれました。 岩宿博物館では名誉館長の相沢千恵子夫人が、相沢氏の日常の研究ぶりについて、発見した「槍先形石器」を前にして説明してくださりました。
    午後からはふれあい学習館で、岩宿博物館友の会・石器作りサークルの方から指導、手ほどきを受けて、 白滝産黒曜石を原材料にした石器づくりを行いました。参加者一人ひとりにマンツーマン指導していただき、 なんとか石器づくりを体験することができました。
    アンケート結果は岩宿遺跡や岩宿博物館での学芸員の先生及び相沢千恵子名誉館長の説明が丁寧で分かりやすかったとの評価。 石器づくりは、初体験ながらとにかく楽しくできたのが良かったと評価されました。

拓本部会
「表装」
11/27,12/25,1/29,2/19,3/5の各日曜日に実施

    表装の工程である裏打ちから軸装までを5回にわたり学び、採拓作品などを掛け軸にして鑑賞できる作業を行いました。 初心者の方も1名おられましたが、ベテランの方のアドバイスで順調に作業を行っておりました。
   例年であれば、午前・午後の作業で軸装までを完成させる事が出来ましたが、一昨年からの感染症予防の為、 活動が午前又は午後のみの作業となりました。例年は昼食時に質問や進捗状況の確認、ベテランからのアドバイスを受け、 和やかな雰囲気でしたが、その機会が失われて残念です。
   今年度も作業の進捗に差が出来てしまいました。完成された方がいる一方で、 完成までにさらに作業を必要とされる方もおられ、今後に課題を残しました。

考古部会 見学会
「黒浜貝塚」
令和5年2月26日(日)曜日に実施

参加者19人(内会員18人)
   当日は宇都宮線内での人身事故に巻き込まれてしまい、急遽京浜東北線で大宮まで行き、 大宮から折り返しの宇都宮線でJR蓮田駅に到着。バスで黒浜貝塚の文化財展示館には、20分遅れで到着すると、 蓮田市役所文化財保護担当の小林さん及びボランティアガイド6名の方々が出迎えてくれました。 電車遅延のことは知らなかったらしく早速、黒浜貝塚見学グループと展示館見学グループに分かれて見学を開始しましたが、 当日は北風が冷たく吹いていました。
    ボランティアガイドは学芸員並みの知識を有し、理路整然と展示物及び貝塚の案内説明を行い、または質問にも答えてくれました。 またガイドが一方的に説明するのではなく、参加者に質問を発し、回答を求めるなど創意工夫に満ちた見学会でした。 黒浜貝塚の名称由来は浜辺に砂鉄が多く含まれていたことから、黒浜と言われ、現在まで地名として残されてきたとのこと。 また「たたら製鉄場跡」が、市役所建設時に見つかったことから、平将門が関東を支配するに当たって 武具調達用にこの地の砂鉄で製鉄を行っていたのではないかとの説明に参加者一同、非常に興味を抱いたようです。
    アンケート結果では、関東平野のこの地まで海があったことや、VRやARなどの仮想・拡張現実の  画像がタブレットなどで、縄文時代の黒浜貝塚の生業や漁業の様子を見ることができたこと。さらにボ  ランティアガイドの説明が丁寧で分かりやすいとの評価が圧倒的に多く記されていました。

歴史部会バス見学会
「鉢形城跡と杉山城跡を訪ねる」
令和5年2月23日(木・祝)実施

参加者48名(内、会員42名、当日入会者3名を含む)   
   新型コロナ感染防止のため、過去2回延期された当該バス見学会が4年ぶりに催行されました。 歴史部会開催バス見学会としては、 令和元年2月開催の「八王子城跡・滝山城跡を訪ねる」企画以来の後北条氏城跡巡りとなりました。
    大型バスは8時前に市川公民館前を出発し、東京外環自動車道から関越自動車道に入り、車内では配付資料の解説が行われました。 事故渋滞が分かっていましたので途中休憩PAを変更し、当初予定時刻に嵐山・小川ICを降りることができ、 嵐山町の続日本100名城である杉山城跡に向かいました。ボランティアガイド4名が待機しているところにバスが到着し、 最初の城巡りが2班に分かれて始まりました。杉山城は築城に関する謎が多い標高95mの典型的な山城ですが、 横堀や横矢、馬出、土橋、土塁、虎口などが良好な状態で残っていました。
    杉山城跡を出発した後、バスは鎌倉街道を走り寄居町の鉢形城公園の駐車場に入りました。 そこの大型休憩施設で各自自前の昼食を摂りました。その後鉢形城ボランティアガイド3名と合流し、集合写真を撮影した後、 短時間見学班を含めた3班に分かれての見学となりました。鉢形城跡は埼玉県内城館跡では初めての国指定史跡で24万uの面積があり、 日本100名城の北条氏邦居城跡を歴史館を含めて、しっかり見学することができました。そして予定時間通り帰途につき、三芳PAで30分休憩時間を取り、 予定より早い17時過ぎに市川に着きました。
    アンケートによると、9割近くの参加者の方が満足と回答され、「城跡見学は楽しい」「築城の見事さに感心した」 「普段行けない所に行けて良かった」など、城跡見学の人気を再認識させていただきました。

民族部会 見学会
「日枝神社 大杉祭」
令和5年2月11日(土・祝)実施

参加者24名(内、会員18名)
    2月11日、京成バス停「国分」に10時半集合、日枝神社へ向かいました。神官・総代の皆様が大杉社前にて、 祝詞奏上・礼拝の儀式に参加出来ました。その後、櫻庭会長より挨拶を頂き、以後は「こんこん様(腹切さま)」〜 「国分寺」〜国分五丁目と国分四丁目の「庚申祠」〜「国分尼寺跡公園」「馬頭観音」〜「北下遺跡瓦窯跡」と廻りました。
    国分寺では、市内でも珍しい三面の馬頭観音と発掘調査で判明した下総国分僧寺の七重塔・金堂・講堂・ 僧坊・大衆院跡等の位置関係を確認、国分尼寺跡公園にても、発掘調査で判明した資料を基に各建物の位置関係を確認した後、 馬頭観音(9基)を見学、その後バス停「国分」近くの北下遺跡瓦窯跡発掘調査概報を基に、登窯跡を確認しました。
    朝方の気温は少し低めでしたが、風も弱く穏やかな晴天のもとでゆっくりと廻る事ができました。 アンケートの結果の回収率は88%で、76%の方から「満足」とのご意見を頂き、殊に市内でも、 知らなかった色々な行事・遺跡等を知る事が出来て良かったとの回答を多く頂きました。

     行事に際しての新型コロナウイルス感染防止に関するお願い
◎ 37度以上の方は参加出来ませんので、その場でお帰り頂きます。また、体調のすぐれない方は参加をご遠慮願います。 (当日不参加の方は「友の会携帯番号(090-9231-4383)」に直接ご連絡ください)
◎ マスクの着用は個人判断となりましたが、人数制限がなくなった講堂・会議室では、できるだけ着用をお願いします。
◎ 講堂内での蓋付きペットボトル等からの飲水は可能ですが、食事はご遠慮ください。
◎ 見学中は、私語は慎み、ソーシャルディスタンスを心掛けてください。
以上、ご協力宜しくお願いします。

copyright (C) 市川博物館友の会 All right reserved.